今年のスケジュール、および、天満と八雲の簡易対比構造分析。

 ということで、今年の大まかなスケジュール。
 
■ 週単位
 1.毎週水曜日:マガジンの発売日には『今週のSchool Rumble』。
 2.毎週月曜日(二週間に一度くらい?):貯め込んだ分析をアップ。
 3.毎週土曜日(三週間に二度くらい?):受信した電波への発信。
 
■ 日単位
 1.一日一時間以上の分析はしないよう心がける。
 2.だけど、できるだけ一日一時間の分析を続ける。
  (トータルで、年365時間の分析をする。ただし分析はスクランに限らない……)
 
 こんな感じかな?
 
 今年は、このペースをできるだけ守ろう……。
 
 

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 というわけで、さっそく独り言(及び、それに乗じた分析の貼り付け)。
 
 八雲と天満も、当然ライバルです。
 よって、天満と八雲は、播磨を軸に、似たようなイベントを与えられています。
 とはいえ、『沢近と天満』のイベント軸と、『天満と八雲』の軸は、少しずらしてあるんですよね……。
 また、『天満と沢近』は『同じ』だと表現されているのですが、『天満と八雲』は『違う』と表現されることが多いのです……。
 
 ちなみに、『八雲と天満』が『違う』という対比構造からの表現を二つばかり抜き出しておくと……。
 
 

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■ その1 【特別長編】と【#143】の対比。
 
 播磨の上に覆い被さった八雲が言う台詞。
 
八雲「…… えっと …… 私はよくわからないんですけど…」
八雲「こういうことで… こういうことで本当に恋は始まるのでしょうか?」
 
 これは、八雲による、播磨が天満に恋したなれそめそのものを否定するような言葉。
 同じシチュエーションになりながらも、「そんなことで本当の恋は始まらないのでは?」と言っている訳……。
 対比構造を理解した上で読むと、怖ろしく強烈な台詞となる。
 播磨に対して、「播磨さん、あなたが姉さんを愛したのは錯覚なんですよ」と言ってるみたいなものだから。
 
 

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■ その2 【♭21】と【#208】の対比。
 
 【♭21】は八雲が、【#208】は天満が播磨のアシスタントをする話。(※1)
 
 両方ともに、アシスタント側(八雲と天満)が台詞を読むシーンがあり、その差異が面白く表現されている。
 
 【♭21】での八雲の台詞を抜き出すと。
 
八雲「「とうとう無人島に二人きりになっちゃったね…」」
八雲「「…二人きりの相手があなたで良かった!」……………………。」
八雲「「でも… これから私たち どうなるんだろう……」」
八雲「す……「好……好き…」」(※2)
 
 八雲はこれを恥ずかしそうに言っている。
 播磨はノリノリで、八雲の言葉にセリフを返し、最終的には演技に入り込みすぎて八雲を天満に重ね見てしまう。
 
 
 対して、【#208】の天満の台詞。
 
天満「“俺のことは置いて早く逃げるんだ!”」
天満「“ダメ! アナタを置いてなんて行けない!!”」
天満「“だって 私 アナタのことが…”」(※3)
 
 天満はこれを「いいセリフ」と表現しているが、自分とは別物のようにとらえている。
 だけど播磨は恥ずかしくなり、天満の台詞読みを止めてしまう。
 
 
 以上の対比が意味するのが何か、という説明は微妙だが、少なくとも、天満と八雲が「違う」という表現はなされている。
 
 
(※1)
 漫画家とそのアシスタントというのを軸にして、『播磨−八雲』の相似として、『烏丸−天満』が用意されているのかもしれない。
 もし、烏丸の言う「アメリカ」が「アメリカの間」なら、『烏丸−天満』による【#143】の反復を予測しておくべきかもしれない。
 あるいは、【#142】の対比で、烏丸が、今度は逆に播磨のもとに天満を行かすイベント、もしくは【#142】の反復で、再度アメリカの間に播磨を呼ぶイベントなどが推測できる。
 
 
(※2)
 この台詞は実に芸が細かい。
 【♭21】と【#208】の台詞の中で、唯一、「す……「好……好き…」」の最初の一文字だけが、「」(あるいは“”)の中から外れている。
 八雲は漫画の台詞を読む演技をしているのではなく、台詞の演技と見せかけて、八雲本人としての「好き」を播磨に伝えようとしたことがわかる。(最も八雲が告白に近づいた瞬間……。八雲好きはこの余りにも悩ましげなニュアンスに萌えなきゃダメだ(笑))
 また【♭21】で、対する播磨が「」の中に入っていないというのは、単なる台詞読みをしているのではなく、播磨が台詞の向こう側に見ている架空天満に対して言っているというニュアンスを持たせている。
 だからこそ【♭21】の最後、播磨は八雲に天満を重ねてしまい、八雲は播磨の後ろに心の文字をみるという演出につながるのだ……。
 
 これは、本当、プロの技……。
 
 でも、こういう技がすごいのだとしても、普通、読者は気付かない……。
 「読者に気付かれなければ意味がない」として、わかりやすい技術だけを賞賛する読者も作家も多いけど、それはもったいないような気がする。
 読者も技術を理解できるようにがんばる方がいいし、創作側も技術の修練に努めるたほうがいいし、研究家や評論家はできるだけ発見した技術を解説したほうがいいと思う。
 
 でもねえ……。
 私が、それなりに高いワインと最高級のワインを飲み比べられないのと同じで、普通の人が微妙な差異に気付かないというのは、仕方のないことかもしれない(笑) ちゃんとした違いがあるんだから、ワインの飲み比べをできるように努力しろと言われても、まずやらないだろうし……。
 
 
(※3)
 この【#208】の天満の台詞……。
 
天満「“俺のことは置いて早く逃げるんだ!”」
天満「“ダメ! アナタを置いてなんて行けない!!”」
天満「“だって 私 アナタのことが…”」(※3)
 
 将来の展開の「反復元」になっているとしたら、怖ろしく意味深な台詞である。
 天満が、残る播磨のことを気にかけておいていけない可能性を示唆しているからだ。
 
 ただ、問題なのは、天満は、ほぼ均一の表情で言っているということ……。
 もし、このシーンが、天満がうるうるしながら、「感動したよー 播磨くん!」とか言う描写だったのなら、私の中の「天満END」率は上がっていたと思う……。
 
 

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 以上。こんなもので……。
 ってか、早速、二時間ほどつかってるよ……(笑)