天満と沢近は相似である。

 というのを書こうと思ったんだけど……、1〜18巻くらいがどこかに行ったので、漠然とした記憶を頼りに書いてみる。


 天満と沢近は至る所で比べられている。
 ツインテール、ナース変化、沢近が天満と自身を比較する回などなど。播磨を軸としたイベントとしての対比が多い。
 まとめて言うなら、沢近は、天満のスペックアップバージョン。(ただし、恋への強さは劣る。また沢近はドジではない)


 ところが、八雲が比べられているのは天満ではなく、絃子。
 そのため、播磨を支えるが、恋人にはならないというポジションに居続けてしまう。

 「烏丸への恋を最後まで諦めず、奇跡を起こした天満」と相似の沢近は、播磨争奪戦において良い場所にいた、とも言える。
 逆に八雲は「昔、恋に破れた絃子」と相似なのだから、対比構造的には播磨争奪戦では微妙な場所にいた、とも言える。(笹倉とサラもセットになってるので、完全な相似)


 スクランにおける恋愛の重要キーワードとなる「雨宿り」イベントでも、沢近が播磨を意識したのは、播磨が差し出した傘の話から。おまけに、八雲は最後まで猫での雨宿り止まりとなり、対比の穴を埋めることができなかった。


 とは言え、結論から振り返ると、作者は沢近を最初から播磨のパートナーとして選んでいたのかもしれない。播磨と天満が「雨宿り」する話で、燃やすモノを作るために播磨は壁を殴る。そこで、引っ張り出したのは沢近。ギャグシーン的に八雲ではリアクションが期待できない、と言うのもあるのだろうが、対比構造、およびキーワード的には重要な意味を持つ。隠喩的にも、播磨の元に行こうとする沢近を、八雲が何とか止めようとする構図が仕込まれており、後の恋の構図を仕込んでいたかのようだ。


 …………。
 まあ、ここらは終わってからでは何でも言えるね(笑)
 ただし、やっぱり対比・反復の構図は色々と仕込まれているし、そこらを考えた上で小林尽は創作を行っていたように思う。


 対比・反復の構図は創作手法としては結構当たり前のようにあって、

 『けいおん!』における反復の美学――学園祭ライブにおける唯のパンツ表現に関して
 http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20090620/1245488575

 なんてエントリがあったのを最近見つけた。
 やっぱり、クリエーターさんは色々としくんでるンだと思うんだけど……。
 (というか、私も作品を書くときに、自分にしか解らないような構図で物語を作ったり、自分にしか解らないようなネタを仕組んだり、対比・反復使ったりして遊んでるから。結構普通の創作手法だと思うんだけど。分析する人があまりいないだけで)


 あ……。
 なんか、ぐだぐだになった。
 しかも、「天満と沢近は相似」というよりも、「沢近が恋愛戦争に勝利した結果から、顧みて伏線をいくつか拾ってきただけ」なのかもしれない。
 ま、いいか。


 ともあれ、「天満と沢近は相似」としてキャラ設定されている。
 これは、多分、ホント。