相対と対比構造について。

 絶対と相対という二つの概念を考えると、対比構造は「相対」を軸にした創作法──読者の側からすると分析法だが──である。
 
 絶対という観点から何かを評価しようとする場合、単位によってそのものが評価される。
 人間なら、身長何センチ、体重何キロ、五十メートル走は何秒でといった具合に。
 
 絶対的な指標とは、ある基準をつくり、統一された単位で表現した数値である。
 それは、単位を軸とした「ある(1)」と「ない(0)」、およびその量で表現される。
 
 
 では──、相対的に物事を評価しようとすると、どういうプロセスが必要になるだろうか。
 まず、相対的なものをくくる軸が必要になる。
 相対的な事柄に共有した何かが必要になる。
 (まったく関係すらないものの二つを比べるのは難しい。何かしら共有した軸が必要となる。たとえば、「今朝、学校に向かう前に僕が踏みつけて滑ったバナナの皮」と、「アマゾン川にツボカビ病を滅ぼしに単身乗り込んだアマガエル」の二つを比べろといっても難しい。
 二つのものを比較するには、何かしら共通の軸が必要なのだ。(※1)
 
 相対的な評価をする場合、AとBという二つの物事をくくる軸、およびその基準となるZを決める必要がある。
 そうすれば、AおよびBがどれだけ離れているか──逆にどれだけ一緒なのかを判断することができる。
 
 つまり……。
 相対的は評価の単位で測られるものは、「軸、あるいは原点となるZと、「どれだけ同じ」か、「どれだけ違う」かの差異」となる。
 
 絶対的な評価が、とある単位に対して「ある(1)」と「ない(0)」を使って表現されるのに対し、相対的な評価は、とある軸に対して「同じ」と「違う」を使って表現される。
 
 いわれてみればあたりまえすぎること何だけれど……。
 相対評価が、「同じ」と「違う」によって行われているという認識が、確固たるものとして脳内にある人は少ないと思う。
 
 絶対評価における、「0(無い)」と「1(有る)」に相当するものが、相対評価の「違う(同じものが無い=0)」と「同じ(まったく同じ=1)」である。
 
 実は、これが、対比構造を構成する基本的概念。
 「違う」と「同じ」、つまり「対比(違う)」と「相似(同じ)」により、通常は相対的なものでしかない作品内世界(創作内世界)に指標をつくり、より明確なメッセージにしようというもの。
 
 AとBの対比や相似、反復や変化が「違う」と「同じ」を軸にすべて書き分けられるのはそういう理由。
 
 
 実は、結構しっかりした創作技法なのだ(笑)
 
 
 
(※1)
 対比構造の基本部分については、ある程度説明し終わったと思っているので、気が抜けて、私の本性が出始めて、「例」が壊れはじめています……。気になさらぬよう。(※2)

(※2)
 とはいえ、対比・反復構造の応用はまだまだ話していません。
 そこらは私だけの技法や技術として、まだしばらくはこっそり隠しておくことにします。(※3)

(※3)
 えらそうに語っていますが、ここまで書いてきた対比・反復構造の理論は穴だらけで、書いている本人も疑問に思っていることがたくさんあります。(というか、自分でも違うだろう……と思いながら書いていた個所も多くあります……)
 あなたが疑問に思った個所は、おそらくはそのとおりに間違えています。
 
 というのも、こういう新しい概念(と、いうわけでもないのですが、創作技術における「対比構造」は、昔から認識されつづけていながらも、それ単独で研究・分析されたことがほとんどありません)の解説をはじめるときは、間違えていてもいいから大胆な仮説で踏み込むほうが面白い、と考えている口ですし、間違えているかもしれないという不安から確実に踏み固めた論を小出しにするよりも、ぶち上げてしまって間違いを大量に指摘されるほうが、トータル的な進歩は早いと考えています。
 なので、実質的な進歩の速度を考えて、大胆に踏み込んで、より多くの突込みを期待し、それによるブラッシュアップを図る、という戦略をとっています。
 
 なので、今まで書いてきたことを鵜呑みにしないように。
 かかれてきたことを疑い、自分の頭で考えてこそ、それは身につきますし、よりよい技術となって身につくのですから。