ベクトルとは? その9 始点と終点の重要性

 ベクトルは、ある二点間の距離ならびにその大きさである。
 ゆえに、その二点の始点と終点はきわめて大きな意味を持つ。

 対比・反復構造で説明するなら、反復の元となるものが始点であり、最終的な反復先が終点となる。
 
 始点は、物語で言うなら第一話であり、キャラクターで言うなら最初に登場したときの状態である。
 終点は、物語で言うなら最終話であり、キャラクターで言うなら最後に登場したときの状態である。(大まかだけれど)
 
 ストーリーというものが、主にキャラクターの登場を通して語られる以上、キャラクターの始点から終点に至る変化はストーリー上きわめて大きな要素である。
 
 たとえば、恋愛もの。
 最初、告白できなかった主人公が、さまざまな葛藤を得て誰かに告白することができたら、そこまでにあった事件、イベントなどを通して得た経験や知識は、主人公が成長してきた証である。それは「始点:告白できない主人公」から、「終点:告白できる勇気を得た主人公」にいたる変化の歴史であり、物語として語られてきた主人公の成長である。
 このようにして、始点と終点に至る変化は、いかなる物語であれど重要であり、ゆえに最初と最後には多くの労力を費やさなければならない。(ただし、反復系の物語。黄金パターンを繰り返す物語には、変化がない場合が多い。ミステリの短編、水戸黄門などのパターン系時代劇などは、永遠に反復するからこそ面白いものであり、ストーリーを通じて成長するようなものではない)
 
 そこで、今回は、最初と最後に注目して話をする。
 最初と最後、どちらが卵で、どちらが鶏なのだろう?
 これは、どちらもありえる。
 
 ホラーエンターテイメントの巨匠、スティーヴン・キングなどは、構成は不要。キャラクターの初期配置から徹底的に考えつくすことで、最終へと向かう。というようなことを語っている。
 エンディングを決め、落ちに向かう方向を決定してしまえば、キャラクターの行動に不自然な制限がかかるのでやめておいたほうがいい、というわけである。
 
 ミステリの場合は逆で、最後の落ちを決めなければ、物語を構成することができない。(いや、まったく考えずに書き始める作家さんもいらっしゃるんですけどね……)
 最後のトリックや、仕掛け、その他をきれいに、すごく、すばらしく見せるために、事前に複線を張りまくり、読者に目くらましをし、もっとも美しい着地を行うというのがジャンルの理想であるため、何も考えず、初期配置からキャラクターを動かすのは難しい。
 
 ともあれ、ホラーであれ、ミステリであれ、初期の魅力的な導入と、終盤の上手な落ちは作品の評価に大きくかかわることになる。導入が面白くなければ読者はその作品を手に取ろうとはしないし、上手な落ちがなければそれだけで駄作として扱われる。
 また、初期と終盤のギャップも、物語の衝撃を読者に伝えるには有効である。
 物語としてのベクトルを大きくするためには、そのギャップを大きくすることが求められ、ゆえに始点と終点との距離ができるだけ離れていること、状態ができるだけ違うことが求められる。
 
 だが、だからといって、ベクトルの方向性を読者に間違わせてはならないのがポイント。
 ゆえに、最初の初期状態、ならびにその方向性は、できるだけ明確に示しておく必要があるし、そこが行き着く先もある程度は考えておかなくてはならない。
 
 だからこそ、第一話はきわめて重要となる。
 構成の塊みたいなジャンルであるミステリでは、よりその傾向が強い。
 第一話から、最終話につながる伏線を仕込んでおくなんてのもよく見かけられる。
 再読したとき、第一話を見ただけでも感動できるような何かが仕込まれているなら、読者には強い衝撃を与えられることだろう。
 
 …………。
 こんなところで、ベクトルは大体説明できた……と思う……。
 とりあえず、私がスクランを読むときに使った先読みの手法は、今までの解説で大体説明できると思う。
 第一話(初期展開)が重要! というのは、♭01から04の流れから、全体像を予測するのに必要だし。
 
 というわけで、対比・反復構造についての大まかな解説もこんな感じかな?
 一日十分から三十分、見直しをせず、ざっと書いてきたから、間違いや誤植や、おかしなところや説明不足が大量にあるとおもうけど、まあ、いつか直そう。
 それと、いつかまとめよう。
 
 とりあえずは、これで、対比・反復の根幹知識は終了!
 
 約二ヶ月かー。がんばった!