「暗示」ってなに?

 創作における「暗示」の技法とは、作中の未来をほのめかしたり、類推させることによって、読者の期待や不安をあおったり、興味をひきつけたりする技術。
 あえて端的にいってしまえば、読者を誘導するための心理的な流れをつくる技法。
 (創作の視点だから、「暗示する」の方。「暗示されている」となると分析側の視点だけど)
 
 で、その「暗示」と対比・反復構造の何が関係あるねん? っつーことなんだけど。
 これが、大いにある……。
 
 「暗示」の技法のほとんどは、対比・反復を使ってなされるものだし。
 
 <例1>
 Aという主人公がこれから試合をする直前、ヒロイン役が持っていたAのお守りの紐が切れた。
 
 別にAが負けたわけじゃない。
 なのに、この描写が入っていれば、読者はAが負けるのではないかと不安になる。
 
 なぜ?
 
 それはもちろん、Aのお守りの紐が切れたから。
 
 では、どうして、Aのお守りの紐が切れると、人間は、Aが負けるのではないかと不安になるのか?
 
 もちろん、Aのお守りとAを関連付けしてしまうから。
 
 つまり……。読者は自然に、Aの運命とAのお守りを「相似」として類推してしまう。
 
 
 「暗示」はこのように、ほとんどの場合、何かと関連付けてしまうからこそ「暗示」となる。
 それは作中のものに限らない。
 
 
 <例2>
 Aが明日告白する、という日。朝から雨が降っている。
 
 このシーンを見ても、読者は不安になるだろう。
 Aの告白と雨は関係ない。
 でも、なぜか不安になる。
 
 なぜ?
 
 それはもちろん、雨が読者の記憶に憂鬱なものとして刷り込まれているから。(砂漠に住んでいるひととかは、むしろ恵みの象徴としてとらえるかもしれない……。ここらは、文化、常識、その他によって差異があると思う)
 
 雨というだけで、日本の読者なら憂鬱になるだろう。おそらく、かさを用意しなければならない、暗い、服がぬれる、寒い、その他のマイナスイメージを雨ということひとつで連想してしまうからだと思う。
 
 この「連想」は、「相似」によって喚起される。
 あるものとあるものが似ているからこそ、どうしても連想してしまうのであって、まったく違うのならそもそも思い出さない。
  
 このように、作中にはないけれど、読者の中にあるものを使って行う「暗示」もある。(※1)(※2)
 
 
 あー。
 <例3>と<例4>をあげることができなかった。
 今日は時間切れ。
 
 

 (※1)
 本当は、これは言い方が悪いか知れない。たとえば小説なんかでは顕著なんだけれど、読者の中に何にもないと、普通の人がきれいなシーンだと思うであろうものも、よくわからないシーンになってしまうわけで。
 つまり、もとより創作というものは、人の頭の中にあるイメージや記号や言葉を喚起させることで、感動を生み出すもの。「暗示」だけが特別ではない。漫画や映画の場合は、より直接的な表現となるから、イメージや記号を喚起させる必要はないんだけれど、小説ではその傾向が顕著。
 たとえば、ものすごく美しい桜を見ていないと、小説内の桜の描写の美しさはわからないわけで……。読者の「実体験」は本を読む面白さに直接的につながるんだけれど……。まあこれは別の話。
 そこからつながってライトノベルが直接的表現を好んだり、描写が少ないという部分にもかかわったりするんだけれど……。またこれも別の話。
 
 (※2)
 作品外対比(作品外相似)は、いろいろなところで使われる。
 パロディ、元ネタ、オマージュと言ったのもそれに当てはまる。