「変化」における、反復と対比の重要性。

 シナリオ後半で「変化」を持ってくるにあたって、それまでにどれだけ反復しているか、どれだけ対比されているかはそのシーンの影響力に直結する。
 
 たとえば、ホラー。
 最終的に、両親を犠牲者にすると決めているなら、両親と自分の幸せ状態を描写しておくと効果的。
 つまり、幸せの描写を延々反復させると、両親が死んだときに強烈なイメージになる。
 
 たとえば、恋愛。
 最終的に、別れると決めているなら、恋人であるときの幸せ状態を描写しておくと効果的。
 

 たとえば、ライバル。
 それまで、ずーーーーっと引き分けだったのに、最後の最後で負けて、それでも主人公を祝福した。
 負けたことがなく、きわめて悔しいはずなのに、主人公が次に行うラスボスとの戦いを応援した。
 そのときの言葉は、それまで対比されつづけてきた歴史の重みとなる。
 
 と、こんな感じで、対比・反復は、回数を増やせば増やすだけ(描写量をふやすだけ)、その分それがひっくり返されたときの重みをすごくする。
 反復・対比はその描写の重要性を高めることにもなる。

 また、サプライズ的側面も忘れてはならない!
 
 それまで、ずーーーっと仲良く言っていたのに、いきなり、「ボクたち、別れたほうがいいと思うの……」なんてやられると読者は驚く。
 
 これが、「サプライズ」の技術で、そのサプライズをやるために、ずーーーっと「サプライズ」の逆の反復や対比をやりつづけるわけだ……。
 となると、「サプライズ」のためには対比・反復は完全に出汁というか踏み台というか下ごしらえとして扱われる(笑)
 
 「サプライズ」の逆の対比・反復が長ければ長いほど、多ければ多いほど、「サプライズ」の効果は増す!
 
 というところで……。
 今日の話を聞いて、「おや?」と思った人はえらい!
 
 一昨日、対比・反復から、シナリオの先読みができると書いた。
 その割には、昨日、対比・反復は最後の「変化」がくるから、最終的には反復しないし、対比されない場合が多い、と書いた。
 今日は、その理由を書いたし、おまけに対比・反復が鼻であしらわれる「サプライズ」を書いた。
 
 で、結局どっちなの?
 ということになる。
 
 「先読み」は可能か? 
 それとも、「変化」や「サプライズ」がくるから予測はできないのか?
 
 どっちだと思う?
 
 ってのを……。多分火曜日にでも……。
 (っていうか、このブログを書くために、こないだ、ちゃんとメモとって流れを組み立てたんよ……。どういう順で説明すれば、わかりやすいか、というのを。結構うまく流れると思うんだけど……、なんかがんばりすぎて、先は長い……。細くてよけりゃあ、本にできるぞ、と思ったくらい……。月曜日以外は、ほとんど毎日書くと思うけど……。終わるのは、数週間先っぽい。大変だ……)