スクランにおけるシンクロについて。
スクールランブルでは、同じコマの中にいるキャラが、同じ感情を持ったり同じ発言をしたり、同じポーズをとったりと、シンクロしていることがある。
(注! ここでいうシンクロは、同じコマや、同じ構図のみのシンクロです。似たような行動や性格は、「類似」と呼ばれる現象であり、シンクロではありません。例をあげると、烏丸と播磨は類似形とは呼べませんが、コーヒーや水を飲むポーズでシンクロしています。シンクロしているからといって、類似ではありませんし、類似だからといってシンクロするわけではないのです!)
よく見かけるのが以下の3種。
1.烏丸と播磨のシンクロ。
2.播磨と天満のシンクロ。
3.播磨と沢近のシンクロ。
それに足して、時々行われているのが……。
4.天満と沢近の時間差シンクロ。(沢近の天満化ともいう。)
ここからいろいろと考察(考案)することができる。
たとえば……、こんな感じに。
<壱> 単に播磨個人のシンクロ率が高いことが描かれているだけなのでは?
<弐> もし烏丸と天満がくっつけば、比例暗喩的に、それぞれのシンクロキャラである播磨と沢近がくっつく可能性が高い?
まずは<壱>。
播磨個人のシンクロ率が高い。これは事実だろう。
といっても、その一方でシンクロしていないキャラがいるのは事実。
特に、数多く播磨といっしょに登場しておきながら、シンクロしていない八雲がいる。
これはどういう意味か?
あえてシンクロさせないことに意味をもたせているのか、それとも播磨とは価値を共有できない存在として描かれているのか……?(まあ、基本的に、八雲はその他のキャラとシンクロしないキャラなんだけれど……)
ここらあたりは意見が分かれるところだと思う。
播磨と価値を共有しないのだから恋愛対象としては不適格、とする意見も出るだろうし、価値を共有しないからこそ恋愛対象になる、という意見も出るだろう。(事実、烏丸と天満は価値を共有していない……と書いていたけれど、歩行祭イベントのときに、価値の共有をはじめている……すばらしい進歩!)
まあ、多分、何かしらの法則、もしくは意図があるんだろうとは思う。
つぎに<弐>。
実は、Bは、よく使われる反復・対比構造での読み方。
たとえば……。
Aという主人公がいたとする。
Aを慕うBという弟子がいたとする。
Aが何かを成し遂げたとき、Bも比例して同じ何かを成し遂げる(成し遂げようとする)ことが多い。(同じ目標を持ったり、同じ夢を見ることが多い。ライバル関係の逆で……、師弟関係……とでもいうのかな? ……ぴったり当てはまる言葉が浮かばない……)
同じ作品内では、ある方向性が進められれば、それと同じベクトルを持つグループも同じ結果になる、というのが基本。
よってここで注目できるのが、修治と美緒のコンビ。
修治と美緒は、播磨と「塚本」という対比が可能。
特に、世代間での対比は、上の世代の対比が下にそのまま受け継がれることが漫画界では多く、修治と美緒が鉄板だとするなら、播磨と「塚本」の組み合わせも鉄板だと推測できる……。
……はずなんだけれど……。
スクールランブルの「複数主人公制」が問題……。
作品の軸が複数あるんだよね……。
軸(価値)が複数あるということは、一筋縄ではいかない、というわけで……。
おかげで、対比の分析が大変なんよ……。
しかし、今日の日記分は、結局わからないことをわからないといっただけで、何の結論も出てないな……。
(なお、この日記は、いずみのさん< http://d.hatena.ne.jp/izumino/ >との対話を踏まえて、間違えた解釈をしていた個所に修正が加えられています)