航海編と放浪編の対比、たして再起動の成功と失敗。
というわけで、時間が余ったからちょこっと書く。
今回は航海編と放浪編の反復と対比。
航海編は、八雲と付き合っていると誤解された播磨(つまり天満にまったく気がないことがわかった)が、矢神町を離れるという出だし。
そこで、師匠と出会い、漫画と恋に対する熱い思いを再起動させる、というお話。
放浪編は、沢近との関係で失敗した播磨(おまけに天満が漫画ライバルに昇格!)が、自分を探すために放浪するという感じ。
そこで、烏丸と出会い、漫画と恋に対する熱い思いを再起動させる、というお話。
まあ、見事な反復である……。
そこで……。
以上と比較して面白いのが、八雲の「再起動の成功と失敗」。
文化祭の茶道部カフェで、「手塚本先生」は播磨のモチベーションアップに成功!
だけど……。
沢近に原稿を破られた(実際は破られていないんだけどさ)後、失意のどん底で俳優を目指すと訳のわからないことを言い出した播磨を、八雲は何とかもう一度再起動させようとするけれど、失敗!
こちらは、反復構造を利用した対比。
で……。
再起動に失敗した直後に失敗した八雲が、沢近に播磨をゆずろうとしているんだから、「恋愛から降りた」と判断したんだが……。
解釈は難しいものだ(笑)
まあ、もっとも、私の場合……間違うことは怖くないし、むしろ間違ったパターンのデータを取れるのは凄い良い経験になると思っているから、間違えたことを喜んで公開しちゃうタイプだったりする……。なので、このブログの推測も、基本的に思考実験して遊んでいるんだ……という視線で見るのが正解だと思う。
……正解でふと思い出した。
ミステリの「解答」とは違って、正解がないのが前提なのが「解釈」だから、同じものを見ても違ったものが飛び出してくる。だからこそ面白い部分がある、と思うんだけど……。みんな人の解釈を面白いと思わず、自分の解釈を主張するからなあ……。
違っている他人の解釈こそが面白いと思うんだけど……。
ミステリの「解答」だと「正解」と合っているのはいいことだと思うけど、漫画や小説の予測や考察なんて、外れるのが前提でわいわい言うものだから、面白ければそれで良いと思うんだが。
ちなみに、考察なんてものは、外れることを前提に、真正面から真剣にやりあって、お互いあとくされなし、というのが個人的好み。その上で言うなら、それぞれ個人には立ち位置があるのだから、偏っているのは当たり前。っていうか客観的な意見は無理。それよりも、自分は○○の立場から分析しています、というほうが正直なわけで……。ちなみに、私の立ち位置は、構成ヲタクならどうするか、というプロファイリングからの推測を大きく取り入れた予測と考察……。天満、沢近、八雲のどれとつながっても良いと思っているが、一番「楽しい」のは天満とだよなあ……と思ってたりする駄目な野次馬根性……。
んー。
途中から愚痴と言い訳になった(笑)
さてさて。最後にちょっとつけたし。
もし……の話。
天満に失恋をしたら……の話。
そのとき、播磨はまた放浪するはず。(反復構造からの予測)
なら、そのとき誰が漫画を書かせるモチベーションを与えるか、ということになる……。
ここで、効いて来るのは編集長の「失恋しても書かせろ」なんだよなあ……。
だから、最後で八雲の末足が来るのでは、という予測になっていたりする……。